2017年4月12日水曜日

中欧・南欧(その14) モンテネグロ コトル前編

モスタル→コトルは8時間半ほどの長旅です。

コトルへはドゥブロヴニクからも日帰りで行かれるのですが、
今回は時間を多めに取りたかったので、コトル泊にしました。

コトルへ行く途中で、トレビニェという人口4万くらいの街で休憩がありました。
観光地とは縁遠い場所のようですが、むしろこういうところを歩く方が好きなので、
次のボスニア訪問では時間を取って散策してみたいものです。















国境でのパスポートチェックを経て、コトルに着いたのは夜中の0時半頃でした。
危険そうな匂いは特にせず、迎えに来てくれていたオーナーと一緒に宿へ。

このオーナーは60~70歳くらいの御婦人で、大変エネルギッシュな方でした。
真夜中に迎えに来て下さるというアクティブさもさることながら、
宿に着いてからもマシンガントークでおすすめの場所を紹介して下さいました。

自分が歳を取っても、エネルギーのある生き方をしたいものだと思いましたね。
ちなみに宿はVicky Apartmentというところです。

一夜明けて、宿に荷物を預けて旧市街へ。
コトルはモスタルよりも更に温暖で、多分20℃くらいあったと思います。


















旧市街の門をくぐり、中を歩いてみました。

下の写真に写っている時計塔は1602年に建てられたもので、
コトルのシンボル的存在だそうです。
その前にある広場は、昔は公開裁判の場所だったのだとか。


















コトルの旧市街はコンパクトにまとまっており、歩いて回るだけなら1時間で十分でした。
途中でモンテネグロ産の白ワインを飲んだりしつつ、
歴史を感じさせられる街を散策するのはとても楽しかったです。

ちなみにユーロが流通しているため、両替の手間がかからなくて楽でした。
ユーロ圏の国はスロベニア以来でしたので、少し久し振りに感じましたね。
ボスニア・ヘルツェゴビナでも少し使いましたが。


















下の写真に写っているのは、1166年に建てられた聖トリプン大聖堂です。
内部の様子は撮っていませんが、荘重で見応えがありました。


















好みの光景を写真に収めつつ、昼前まで気ままに歩き回りました。


















そしてお腹が空いてきたところで昼御飯。

パスタの塩味が少し強かったですが、全体としては満足でした。
食文化に関しては、クロアチアやスロベニアと同様にイタリア方面の影響が強そうです。
















実はこの後、コトルのもう1つの見どころである城塞に登ったのですが、
昼御飯をいただく前にすれば良かったと思う羽目になるのでした。
城塞は海抜250メートルくらいのところにあるので、結構ハードなんですよね。

続きはモンテネグロ後編へ。


【旅先の詳細情報】
時期:2016年10月
場所:コトル(モンテネグロ)

2017年4月11日火曜日

中欧・南欧(その13) ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタル編

サラエヴォからバスに乗って2時間半ほどでモスタルに着きました。
この区間は、車窓からの眺めがなかなか素敵です。
















モスタルからまたバスに乗ってモンテネグロのコトルへ移動するのですが、
その便が出るまで2時間ほどあったので、急ぎ足で散策に向かいました。

バスターミナルから中心部までは10分ほど歩きます。
モスタルはサラエヴォよりも大分暖かく、13~14℃くらいありましたので、
コートを着込んだままだと汗をかくほどでした。


















モスタルは、ボスニアの中ではサラエヴォと並んで観光地として有名です。
更にドゥブロヴニクからも日帰りで観光可能というアクセスの良さも手伝ってか、
観光客と思しき方が沢山いました。西欧系・中国系が多めな印象です。

中心部に近付くにつれて小洒落たお店が増えてきました。
好みの系統のお店がこちらでは何軒もあって、なかなか素敵でしたね。

























素敵だったのはこのようなお店だけではなく、街の風景もでした。
まるで絵葉書のようで、とても見応えがあります。

























下の写真の左側に写っている橋は、2005年に世界遺産に登録されたスターリ・モストです。
現地の言葉で「古い橋」という意味ですが、現存しているのは2004年に再建されたもので、
実は1990年代の紛争の時に一度破壊されているんですね。

元々は異なる民族が川の両側に住んでおり、平和な時代には互いに往来していたものの、
紛争が起こってから今に至るまで対立が燻り続けているという話を聞きました。

川の左岸にモスク、右岸にカトリックの教会があることには気付きましたが、
対立が未だに続いていると言われてもいまひとつピンと来ませんでした。
本を読んだりした限りでは、実際に対立はありそうだという結論に達したものの、
やはり表面的にさらうだけでは分からない物事は沢山ありますね。

余談ですが、下の写真の中央に写っている山の上に十字架がありまして、
コトルへ行くバスの車窓から見上げた時の眺めが大変神々しかったです。


















ボスニア・ヘルツェゴビナにいた長さは24時間にも満たないですが、
複数の面でなかなか濃い体験ができました。
サラエヴォ編でも書いたとおり、少し長めに時間を取って2都市を散策したり、
他の都市にも足を伸ばしたりしたいものです。合計4~5日間は欲しいですね。


















バスターミナル近くの売店でリンゴを2個買って、コトル行きのバスに乗りました。
リンゴを丸かじりするのが好きなので、旅先ではよくやっています。


続きはコトル前編へ。


【旅先の詳細情報】
時期:2016年10月
場所:モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

2017年4月9日日曜日

中欧・南欧(その12) ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエヴォ後編

一夜明けて、オーナーのDinoさんに挨拶をして宿を後にしました。
最後に煙草を勧められたものの、私は絶対に吸わないことにしているので、
肺が弱いということにして断ってしまったのは少し申し訳なかったですね。

それはさておき、とても居心地の良い宿だったので他人にもおすすめできますし、
自分もまたサラエヴォに来ることがあったら同じところに泊まろうと思います。

この日は、同じボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルを経由して、
モンテネグロのコトルへ行く予定でした。

出発までには少し時間があったので、Gallery 11/07/95を訪問してみました。
ここは、紛争時の写真や映像が展示されている場所です。
















撮影禁止なので中の様子は撮っていませんが、
よくこんなものまで収録したなと思わされるものが沢山ありました。

街中の散策では、諸々の痕跡を自分の感覚で体感できた一方で、
あくまで当時の様子を想像するのに留まっていました。
そのため、今回の訪問で散策と相補的な体験ができたのは大変良かったです。
サラエヴォを訪れるなら、この展示は見ておく価値が大いにあると思います。

展示を観終わったところで丁度良い時間になったので、このタイミングでバスターミナルへ。
昨日も訪れたマルカレ広場は相当賑わっていました。
フルーツ1kgで3KM(約180円)など、やはり物価は安いようです。
















途中の道で、有名な「サラエヴォのばら」を見掛けました。
迫撃砲によって死者が出た場所の弾痕を、赤い樹脂で埋めたものだそうです。

























バスターミナルに向かって、スナイパー通りを歩いていきました。
盆地の真ん中にあるからなのでしょうか、霧が少し出ていたのが妙に印象的でしたね。


















黄色い外観をした『HOTEL HORIDAY』は、紛争中にサラエヴォで唯一営業していた宿で、
当時は各国の記者がここに詰めていたそうです。

例によって、このホテルの壁にも弾痕らしきものがうっすらと見えたのを覚えています。
道中で見かける建物に、当たり前のように弾痕があることに慣れてしまいました。


















バスターミナルのすぐ近くには、サラエヴォ中央駅もあります。

モスタルへは鉄道でも行くことができるのですが、
朝早くと午後遅めに出る便しかなかったので、バスを選びました。
リュブリャナ→ザグレブといい、今回は鉄道と縁がない旅ですね。


















バスターミナルの近くにレストランがあったので、
そこで再びチェパブチチをいただきました。
チェパブチチは、今回の旅で一番美味しかった食べ物です。
















たった2日間とはいえ、今回の街歩きと『Gallery 11/07/95』訪問によって、
紛争について以前よりも少しだけ深く体感することができたように思います。

サラエヴォの街は平和に見えたものの、民族により住む場所や行動範囲が違ったりするらしく、
他の地方では地雷が埋まっている場所もあるようです。
表面から少し掘ったところでは、紛争の痕跡が未だ強く残っているのかもしれません。

あと今回気付いたのは、道行く車のナンバープレートに地名が書かれていないことで、
調べてみたところ、どうやらこれも紛争の影響によるものだそうです。

いずれにしても自分が紛争について知らなすぎるので、もう少し学ぶ必要がありそうです。
今回の旅を機に、ボスニア・ヘルツェゴビナやバルカン半島関連の本に手を出しておりまして、
今のところ柴宜弘氏の著作が良さそうかなと思っているところです。



図説 バルカンの歴史 (ふくろうの本)
柴宜弘
河出書房新社
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ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)
柴 宜弘
岩波書店
売り上げランキング: 15,428



話が少し逸れましたが、ターミナルから無事バスに乗ってモスタルへ向かいました。
今回行きそびれた場所がいくつかあるので、もしかしたら再訪するかもしれません。
その時には、スレブレニツァにも足を伸ばしたいところです。

続きはモスタル編へ。


【旅先の詳細情報】
時期:2016年10月
場所:サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

中欧・南欧(その11) ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエヴォ中編

スナイパー通りへ向かう前に、飲み物を調達すべくスーパーに行ってみました。

物価は全体的に日本よりも安く、例えば缶ビールは1KM(KM:マルカ)からでした。
1KMが大体60円なので、日本の3分の1~4分の1くらいでしょうか。
他の品物も大体そのくらいの値段で、西欧諸国よりも大分安いです。
















場所によってはコンビニのようなお店が全くなかったりするので、
飲み物の類は予め調達しておくと安心できます。

治安があまり良くないところだと、盗難が怖いので自動販売機もなかったりしますし。
逆にいえば、自動販売機がある場所は治安が良さそうだと判断できたりもするんですよね。
スロベニアのリュブリャナはその典型例でした。

さて、マルカレ市場を眺めながらスナイパー通りへ。下の写真の左側に見えるのが市場です。
約25年前のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際に、この市場に迫撃砲が撃ち込まれたらしく、
68人が亡くなったそうです。平穏な現状からは想像もできませんでした。


















そしていよいよスナイパー通りに出ました。
紛争当時はこの通りの両脇にスナイパーが潜伏し、道行く人を狙撃していたそうです。

マルカレ市場と同様に、現状からは想像もできないことではありますが、
通りに建っている建物をよく見ると弾痕が残っているのが生々しかったです。


















下の写真の建物は、単に老朽化して塗装が剝がれ落ちているだけに見えますが、
近付いてよく見てみると、これらは全部銃弾の痕でした。


















2時間ほどスナイパー通りを歩いたところで、トラムに乗って旧市街に戻りました。

ドイツやスロベニアで見かけたトラムと比べると、全体的に古い車両が多かったです。
他国の中古車両が多く導入されており、古いものでは40年くらい前の車両だそうです。
運賃は1回乗車毎に1.6KMまたは1.8KM(約100円)で、事前購入だと少し安くなります。

トラムを降りて宿へ戻る途中で、日本国旗がはためいている建物を見掛けました。
表示によるとどうやら日本大使館のようで、
たまたまそのタイミングで帰宅された方々もはっきり日本人と分かる外見でした。

在外大使館は忙しいですし、特に用事もないのでお邪魔するわけにはいきませんでしたが、
機会があれば大使館での仕事についてお話を伺ってみたいものです。
遠く離れた異国で責務の重い職務に就かれていることには頭が下がりますね。

宿に戻って、綺麗な夜景を眺めながらビールタイム。
こういう時にはチェパブチチが欲しくなるな、と思いつつ眠りに就いたのでした。


続きはサラエヴォ後編へ。


【旅先の詳細情報】
時期:2016年10月
場所:サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

2017年4月4日火曜日

中欧・南欧(その10) ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエヴォ前編

ザグレブから約1時間で到着したサラエヴォ国際空港は、とてもコンパクトな造りでした。
両替所など必要最低限の施設はあるものの、首都の空港としては簡素な印象を受けましたね。

ちなみにボスニア・ヘルツェゴビナではマルカ(兌換マルク)という通貨が流通しており、
クロアチアの時と同様に補充をしなくてはならなかったので少し面倒でした。

実際には多くのお店でユーロが使える上に、少数ですがクーナを使えるお店もありましたので、
そこまで多額を補充しなくても良かったかなとは思いました。
空港から市内へ向かうタクシーでも、ユーロで支払いを済ませたくらいですしね。

空港から10kmほどタクシーに乗って、市中心部に着きました。
サラエヴォは今回の旅行で一番行きたかった街でしたので、否が応でも期待は高まります。
途中で車窓から見えた壁に銃弾の痕があり、ここで紛争が起こったという生々しさを感じました。

中心部でタクシーを降りて思ったのは、「色彩に乏しくて雰囲気も暗めだな」ということでした。
灰や茶などの暗色をした建物が多いことに加えて、川も黄土色の水が静かに流れており、
さらに人通りが少なかったこともあって、正直に書くと第一印象はあまり良くありませんでしたね。

実際にはそのようなことはなく、エキゾチックで楽しめる要素が多かったです。
その一方で紛争の爪痕も所々に残っており、複雑さを感じさせられる街でした。


















20世紀前半に起きたサラエヴォ事件の現場であるラテン橋を横目に眺めつつ、まずは宿へ。


















今回はApartment Dinoという宿に泊まりました。

こちらのオーナーであるDinoさんは大変親切かつ素敵な老紳士であり、
サラエヴォに関することなど、気さくに話をして下さったのでとても嬉しかったです。
このような素晴らしい出会いがあることは、旅をする醍醐味の1つだと思っています。

そして広い・眺めが良い・安いという三拍子が揃っていたので、文句の付けようがありません。
















宿に荷物を置き、中心街であるバシュチャルシヤへ向かいました。
第一印象とは違って華やかで楽しげなお店が並び、眺めているだけでも飽きませんでしたね。
手製の絨毯や金属細工といった職人的な製品が多く、味わい深かったです。

また、セルビア正教会やカトリックの大聖堂、ユダヤ教のシナゴーグ、イスラム教のモスクと、
色々な宗教に関連した建物が建っており、さながら主要宗教の展覧会のようでした。
地元民らしき人々も、ヒジャブを被っている人、ロザリオを持っている人と様々であり、
ボスニア・ヘルツェゴビナが多民族・多宗教国家であることが実感できました。


















下の写真は、サラエヴォのシンボルとして紹介されることもある「セビリ」という水汲み場です。


















お腹が空いてきたので、この近くで晩御飯をとることにしました。
今回いただいたのはチェバプチチです。















これは挽肉を丸めて固めたものを香辛料で味付けした上で、
パンのようなものと一緒に焼いた料理で、サラエヴォの名物だそうです。

食べてみるとこれがなかなかクセになる味わいで、
付け合わせの生タマネギに適度な甘みがあるのも相まって美味しかったです。
何といっても肉のジューシーさがたまりません。
サラエヴォを出る前にもう一度食べることを決意したのでした。

スロベニアやクロアチアの料理は、イタリア方面の影響が強そうでしたが、
こちらは全体的にトルコなど中東の国々を想起させる料理が多かったです。
歴史・地理・宗教の違いによって各国で色々な料理を味わえるのは、
旅の醍醐味の1つですね。

お店を出て、次は通称スナイパー通りを歩くことにしました。
それにしても、ドイツ以上に寒かったです。10月中旬ながら既に0℃という……。


続きはサラエヴォ中編へ。


【旅先の詳細情報】
時期:2016年10月
場所:サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)