2017年4月9日日曜日

中欧・南欧(その12) ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエヴォ後編

一夜明けて、オーナーのDinoさんに挨拶をして宿を後にしました。
最後に煙草を勧められたものの、私は絶対に吸わないことにしているので、
肺が弱いということにして断ってしまったのは少し申し訳なかったですね。

それはさておき、とても居心地の良い宿だったので他人にもおすすめできますし、
自分もまたサラエヴォに来ることがあったら同じところに泊まろうと思います。

この日は、同じボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルを経由して、
モンテネグロのコトルへ行く予定でした。

出発までには少し時間があったので、Gallery 11/07/95を訪問してみました。
ここは、紛争時の写真や映像が展示されている場所です。
















撮影禁止なので中の様子は撮っていませんが、
よくこんなものまで収録したなと思わされるものが沢山ありました。

街中の散策では、諸々の痕跡を自分の感覚で体感できた一方で、
あくまで当時の様子を想像するのに留まっていました。
そのため、今回の訪問で散策と相補的な体験ができたのは大変良かったです。
サラエヴォを訪れるなら、この展示は見ておく価値が大いにあると思います。

展示を観終わったところで丁度良い時間になったので、このタイミングでバスターミナルへ。
昨日も訪れたマルカレ広場は相当賑わっていました。
フルーツ1kgで3KM(約180円)など、やはり物価は安いようです。
















途中の道で、有名な「サラエヴォのばら」を見掛けました。
迫撃砲によって死者が出た場所の弾痕を、赤い樹脂で埋めたものだそうです。

























バスターミナルに向かって、スナイパー通りを歩いていきました。
盆地の真ん中にあるからなのでしょうか、霧が少し出ていたのが妙に印象的でしたね。


















黄色い外観をした『HOTEL HORIDAY』は、紛争中にサラエヴォで唯一営業していた宿で、
当時は各国の記者がここに詰めていたそうです。

例によって、このホテルの壁にも弾痕らしきものがうっすらと見えたのを覚えています。
道中で見かける建物に、当たり前のように弾痕があることに慣れてしまいました。


















バスターミナルのすぐ近くには、サラエヴォ中央駅もあります。

モスタルへは鉄道でも行くことができるのですが、
朝早くと午後遅めに出る便しかなかったので、バスを選びました。
リュブリャナ→ザグレブといい、今回は鉄道と縁がない旅ですね。


















バスターミナルの近くにレストランがあったので、
そこで再びチェパブチチをいただきました。
チェパブチチは、今回の旅で一番美味しかった食べ物です。
















たった2日間とはいえ、今回の街歩きと『Gallery 11/07/95』訪問によって、
紛争について以前よりも少しだけ深く体感することができたように思います。

サラエヴォの街は平和に見えたものの、民族により住む場所や行動範囲が違ったりするらしく、
他の地方では地雷が埋まっている場所もあるようです。
表面から少し掘ったところでは、紛争の痕跡が未だ強く残っているのかもしれません。

あと今回気付いたのは、道行く車のナンバープレートに地名が書かれていないことで、
調べてみたところ、どうやらこれも紛争の影響によるものだそうです。

いずれにしても自分が紛争について知らなすぎるので、もう少し学ぶ必要がありそうです。
今回の旅を機に、ボスニア・ヘルツェゴビナやバルカン半島関連の本に手を出しておりまして、
今のところ柴宜弘氏の著作が良さそうかなと思っているところです。



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話が少し逸れましたが、ターミナルから無事バスに乗ってモスタルへ向かいました。
今回行きそびれた場所がいくつかあるので、もしかしたら再訪するかもしれません。
その時には、スレブレニツァにも足を伸ばしたいところです。

続きはモスタル編へ。


【旅先の詳細情報】
時期:2016年10月
場所:サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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